向上心のありか

俺が思うに、偉くなる人ってのは確かに偉くなろうとする向上心もあっただろうけど、それよりも行動が先にあったし、それだけの行動力と、後押しがあったのだと思う。後押しってのは「運」だし、「親交関係」だし、「向上心を見せることによって年長がかけてくれるおせっかい」だし。自分でなんとかできるものじゃないんだけどね。そういうのがあって初めて成功して、その成功が認められて初めて「偉く」なる。努力して偉いなんて言ってくれるのは両親ぐらいじゃないか?だから努力しても偉くはなれないし、世の中そんなに偉い人は多くない。僕だっていつ偉くなれるかなんて言ったら、死ぬまでなれないかもしれない。それでもなんだかんだとやっていければいいと思っている。
その「なんだかんだやっていければ」が低く見られることもある。向上心調査で日本の若者が偉くなろうとしていないというアンケートがあるようで、たぶん僕もそれに当てはまる。だけど俺は知っているのだ、平穏を生きることはどれだけの努力と苦労が必要か。世間が独身孤独離婚裏切り子供の非行自殺など様々な負の要素で充満し、辛い思いをしてきた大人を見てきた子供は、きっと平穏というものがとても難しいものだとわかった上で、平穏に生きたいと言っているのじゃないかと俺は思うんだ。
うちの家族は両親共に裏切りも無く、二人で兄姉僕の三人を支えてくれて、三人共が今ではそれぞれ仕事をし、それぞれ一人暮らしができるほどに独立している。これを僕は平穏だと思うし、幸せだと思う。そうなれていない人が近所には沢山いたし、その人たちに同情する。だから僕は向上心調査で若者がさほど偉くなろうとしていないことに疑問を抱かないし、心配もしない。平穏というのが贅沢だからだ。
最初に言ったとおり、人は行動によって偉くなるし、他人によって持ち上げられるものだと思う。それも平穏には向上がどうしても必要だと思うし、変化なくして現状を保つことができないのが世の中のルールだと思う。だから平穏という贅沢を享受しようとする人の中には必ずグローバルリーダーが出てくると信じている。
だから偉くなりたいという強い思いを持つ人が少ないことを心配しないで欲しい。日本人は謙虚であっていいじゃないか。誰しも目の前のことを一生懸命やっていれば、その人なりの道が必ず一本あるはずだからね。まっすぐ一本じゃないし、曲がったりするけどね。