逃避、人生とは

就職活動をやめるわけでは無いが、人生は短いようで長い。長いようで短いとみんなは言うが、それは幸せな人の場合で、僕みたいにボンヤリ生きている人間からすれば人生はやけに長い。
人生は長く長いのだから、もし就職活動に失敗したとしてもどうってことは無い。ある人は就職できず大学を卒業して何年か秘書検と英語の勉強をして親のすねをかじっていたのだが、秘書検を取ってからバイトとして個人事務所かどっかの秘書をやり、通訳になり、なんか世界を羽ばたくコンサルになったという。まあそういう人は特別かもしれないが、そういう人もいる。
幸せという意味で考えると僕はそれなりに裕福な暮らしをしているがうちの父は三流大学出の単なる小売だ。海外に行ったりもしたが、周りの日本人の父親は大企業から大学に勉強しに来てたり、渋谷のビルを一本持ってますとか元CIAとかそういう人が多かった。そういう人たちと比べると単なる小売だ。僕はまだ小売はどこもエントリーシートを出してはいない。(注:アメリカにいる日本人だけど、もちろんそういう人だけでなく、部落出身で差別が酷かったから海外に逃げてきたという人もいますよ)。
つまり何が言いたいかっていうと、つまらない会社だとしても、大変な会社だとしても、どんなところでだってちゃんと給料がもらえて生活ができるならまあそこで本気で頑張ればそれなりに良い方向に物事は行くし、幸せにもなれるのではないかと思うわけですよ。妻がいて、子供がいて、祝日を祝って、たまに缶ビール一本だけ飲んで。そういう人生も悪くは無いわけなんだな。
自分の命で社会を良くすることができれば良い。だがそういうことが出来る人は限られている。じゃあ選ばれていない凡人はどうやって生きるかというと、先祖代々何百年、何千年と受け継がれてきた命を次に渡す。ただそれだけだ。そしてその命がなんとか自分を越えてくれることを祈るのだ。
もちろんそれができない人もいるし、まあ僕がそうなる可能性は高いが、そうだとしても、何かを残すことだ。別に文章だとか映像だとかそんな大層なことを言っているわけではない。どんな底辺な仕事でもそれが社会に及ぼす影響というのは絶対にある。仕事の優劣は、僕の中にはあるが、何がそれを決めるかというのは想像力だ。その仕事をすることで社会へ与える影響、感謝される度合いなどを想像できるかどうかだ。僕なんかは想像力の無い馬鹿野郎だから良いといわれる企業や聞いたことのあるところばかりへ行こうとする。そういう場所でないと自らの影響力を把握できないのだ。
いや、違うかな。違うかもな。違うだろうな。はあ。
とりあえず最初の2パラグラフまでが当初言いたかったことです。長い人生ゆっくり行ってもいいのではないかな。ただ僕の場合は一人が怖いので就職も頑張るし、その先の成功も頑張るし、恋愛も金銭的余裕さえできれば頑張るし、平々凡々な生活を送るために懸命に努力するつもりですけどね。平凡になるのが難しいよね今の世の中。なかなかね。