売春ねえ、そろそろ夏だな

少女売春が蔓延してるのは西欧文化が生活の一部になる以前と比べて恥の文化が無くなってきているからで、なぜ恥の文化が無くなっているかというのは、それはいろんな人が言っている複雑な理由からなんだと私は思う。
OLが飲み会で同僚の男に「私昔援交したことあるの」と罪を独白することがあるらしいが、まったく滑稽だ。恥知らずが恥を知って恥ずかしくなるという、ただそれだけのことじゃないかと思う。僕もよく昔言った言葉を思い出して恥ずかしくなる。それと同じさ。頭が足りていれば学生が売春なんて普通行うものじゃない。売春自体は金銭のやり取りで、需要に応えるひとつの経済システムだと思ってるけどね。

  • と書いて、何度か読み返すとちょっといろいろ付け足したくなった

なぜかと言いますと、西欧文化を取り入れて個人主義というか、利己主義みたいなものが入り込んできてからは、自分の存在というのが「家」や「土地」から離れたものになってきたのではないかと思うからだ。その前までは個人は家に所属しており、土地に生かされているものであった。だから自分の行いは家族の行いであり、その村の行動だった。注意だが、昔ももちろん例外はいて、阿部定のように15で強姦されたような人は性的感覚が変になっていたことはあるだろう。ここで私が言いたいのは、ごく一般的な家庭の女生徒が身を売っている現状について糾弾しているのである。
話戻して、家や土地から離れる前の個人は、ひとつの抑制として恥を恐れた。今の社会では援助交際は恥ずかしい行為だし、両親を悲しませる行いである。だからもし昔と同じように恥が機能していればもっと抑制されていてしかるべきなのだ。だから私は恥が薄れているからこそ、今のように少女売春がいつまでも続いているのだろうと思った。
ただ、ここまで書いて上の文章を否定するが、そもそもそれほど多くの学生が援助交際をしているのかということも考えないといけない。正直僕の周りで援助交際をしている女性はいないし(まあいたとしても教えてくれないだろうけど)、そういった誘いにあったことも無い。またデータでモノを言うのであれば、近頃は両親に対し尊敬の念を持っている若者が増えているらしい。不況のため同世代の若者がだらしなく、情けないのがその理由だと私は見ている。しっかりと家庭を持ち、給料を毎月稼いでくるという、当たり前の生活に対する評価が上がったのが、父を尊敬するきっかけなのかな、と思う。ちなみに、だが、その影響があるのかどうか知らないが、私の高校時代の同級生の女性が今度40男と結婚するらしい。はっはっは。
だからこのエントリー自体がそもそも時代遅れのものであるかもしれないが、自分というのはいろいろな人間と繋がりを持って生きているんだから、自分の行動はその繋がりを大事にしていくものであるべきだ。というごく当たり前な結論に落ち着かざるを得ない。
あ、書き忘れてたことがまだあった。ええと、私は上で経済システムだといったけど、健全な付き合いだって夫婦の営みだって金銭のやり取りだといえばそうなる。だがその点は考える必要が無い。なぜなら我々はどうやら、愛(または博愛)から派生する行為であるはずのセックスが金だけで行われることをタブー視していて、身内が行って欲しくないという感情がそこに存在する。そして健全な付き合いや夫婦の営みには子孫繁栄という、良いものであるという認識があるのだ。そこに恥があるか、無いか、それによって大いに二つは違う。