物語における恋愛の読み方の変化

連続テレビ小説のつばさは確かに小説的だなぁという風に思った。長編小説ってオムニバスが多い。オムニバスってのは、そのエピソードにあるテーマがそれぞれ違うという意味でオムニバス。「努力」「勇気」「愛」「夢」、それぞれの話にそれぞれのテーマがある。
僕が中学のときは、何を読んでも小説の節々にある主人公とヒロインの恋愛話にばかり目がいって、その部分が読みたいがために熱心に他の部分も読み進めたものだ。宮本武蔵なんて武蔵とお通のすれ違いが楽しくて最後まで読んだというひどい読み方をしていた。
次回からはつばさが誰とくっつくかという方向へ進んでいくのかな。みんなのつばさ、俺たちのつばさ、だったのが、誰か一人のものになる。そういう展開は学生が大好きだと思う。大人になってもそういう話が好きでいられるのかというと、やっぱりどうしても目の付け所がそこじゃなくなってしまうんじゃないかと思う。
ただ、大人からすると、「みんなの」から「誰か一人の」になる寂しさは同窓会で味わう。クラスのマドンナってのは違う大学に行ってしまうものだし、いつの間にかそこで僕なんかは引け目を感じてしまうほどの彼氏を連れていることが常である。へ〜、お相手は医者なの、みたいな。
大人になってしまうと、恋愛話に盲目的にのめりこんでしまう代わりに、自分の人生と比較した恋愛を物語の中に見る。そこで「ああ、俺はこうなのか」とか思う。別にそこで落胆したり安心したりするわけではなく、ふーんって思う。
ちなみに僕の場合、リアルの恋愛においてもふーんで済ませてしまっている感が強い。本気で女性を愛したことって、無いのかもしれないな。