教育論

バートナンド・ラッセルの教育論の引用と要約をします。
まず1926年に書かれたことを一つ念頭においてください。
書きたいことが多いため、メモ書きのような文章にします。
そうしても充分長いけど、是非読んで欲しい。時間があるときにお願いします。


第1章 近代教育理論の前提条件
 『将来私たちが作り出すことを目指すべき教育制度は、この世で最高の教育を受ける機会をすべての少年少女に与えるものである』
 付け加えてこう言う。むやみに民主主義をふりかざし、不公平と結びついて得てきた貴重な成果を無駄にしてはいけない。つまり最高の教育というものは、現状のレベルを下げることによって平等を目指してはいけないということだ。飛びぬけている部分を叩くのではなく、全体を上げることによって公平にする。
 『教育問題全体は、女子に関するかぎり、性的平等を欲求することによってゆがめられてしまっている』
 「立派な女性」の理想が潰えたことで、母となるために必要な技術教育がされなくなってしまったことを言及している。ちなみにこの著書は論点の混乱回避のため性別に関する差異はあまり考えないで書くとここで注意している。
 『ある科目をマスターするためにむずかしい技術がどうしても必要な場合は、専門家を訓練する場合は別として、その科目は役に立つものであったほうがよい』
 人文主義的な教育の初歩は学ぶべきだろう。しかし教育のむずかしい部分は数学と科学に限るのがよいと語る。別な方向へ向かう強い傾向や特別な能力のある場合は例外を設けるが、平凡な子供はこうしたほうが良い。古文を読まずとも、現代文学の中にたくさんの価値が見出せるからだ。
 『教師に必要なのは、ただ、適切な訓練と、それに加えて、決して並外れていない程度の同情と忍耐だけである』
 子供を怖がらせて勉強を強要するのではなく、知識の獲得を自発的に行わせなければいけない。ゲームとその規則を守らせることなら子供にさせることが簡単だ。そのゲームが知識の獲得に繋がればよいのだ。その方法を教師は訓練によって獲得するだけでよい。

(この調子だとすごい長くなりそうだ。絶対に読んで欲しい部分だけに絞る)


第2章 教育の目的
 『理想的な性格の基礎をなすように思われる特質を四つとりあげてみよう。すなわち、活力、勇気、感受性、知性である』
 活力とはよく活発な子供に備わっている元気さである。活力があれば、これといって特に楽しい事情がまったくない場合でも、生きているんだという感情の中に喜びがある。活力は喜びを高め、苦痛を小さくする。どんな出来事にもたやすく興味が持てるし、したがって客観性が助長される。そして、客観性は、精神の健全さにとって不可欠である。
 勇気。私たちは恐怖の中にいる。ひどいと被害妄想、不安症など病気から、軽いと不安として生活にある。この恐怖を抑圧によって抑えつけることに甘んじてよいのか。抑圧とは恥と不名誉などである。こういったところから発生する恐怖は残酷で、暴力の元となっている。命令はよくない。強要され服従すると、いつか他の者にも強要する。つまり協力的な仕事ではリーダーは単に目的を達成するためみんなが自発的に認めたものであって、外部の権威に押し付けられたものではならない。また自己にとらわれない人生観も必要だ。これが無ければ希望も恐れもすべて自分ひとりに集中する。多くの興味を持って、自分でないものを大事にする気持ちも持っている人こそが勇気ある者なのだ。
 感受性とは、感受性が強いことが求められているのではない。適切な感受性を持つことが大事なのだ。危険を感じることができなければ勇気は愚かであることが多い。そういう意味で、勇気を正しい方向に向けるコンパスが感受性だといえよう。感受性は共感によって発達する。共感があれば残酷な産業主義や被支配民族の圧迫が黙認されることは無い。人の痛みがわかることが感受性である。
 知性とは一言でいうと知識を獲得する能力だ。この本能的な基礎となるのは活発な好奇心だ。ただゴシップなどの悪意から出た好奇心ではいけない。子供が抱く動物、機械、天候などへの関心、そういった純粋な形の好奇心を持つべきなのだ。良い好奇心はある種の技術と結びつく。観察の習慣、知識は獲得できるという信念、忍耐、勤勉がいる。そして偏見の無い心。

 『活力、勇気、感受性、知性を、教育によって生み出せる最高限度に所有している男女から成る社会は、これまで存在したどんな社会とも大いに異なることだろう。不幸な人は、ほとんどいなくなるだろう。現在の不幸の主な原因は、不健康、貧困、不満足な性生活である。これらもすべて、ごくまれなものになるだろう。健康がほとんど一般的になりうるだろうし、老年だって先へ延ばすことができるだろう。産業革命以来、貧困は、ひとえに集団的な愚かさによるものである。人びとは、感受性があれば貧困を根絶やしにしたいと思うだろうし、知性があればその方法を知るだろうし、勇気があればそれを採用するに至るだろう』

 『女性はわざわざ肉体的にも精神的にも臆病であるように教え込まれてきた。愛を抑えつけられている女性は、夫の残忍さと偽善を助長し、わが子の本能をゆがめてしまう。恐怖を知らぬ女性たちの一世代は、恐怖を知らぬ子供たちの一世代を世の中に送り込むことによって、世の中を一変することができるだろう。いびつな形にゆがめられることなく、まっすぐで率直で、おおらかで、愛情深く、自由な子供たちをである。彼女たちの熱情は、私たちが怠惰で、臆病で、冷酷で、愚かなために現在耐え忍んでいる残酷さを一掃してしまうだろう。こういう悪い性質を与えるのも教育なら、その正反対の美徳を与えなければ成らないのも教育である。教育こそは、新しい世界を開く鍵である』

 『しかし、もはや一般論にけりをつけて、私たちの理想を実現するための具体的な細かい問題をとりあげるべき時である』


全19章です