存在って何?

finalvent先生のメリークリスマス!を読んで混乱。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20081225/1230162136
質問形式でこの文章を読み解いてみようかな。


 先生曰く存在の強さは「影響力」や「生存力」ではない。ということだが、
Q1.存在が弱い人にも大きな影響力があったりするの?
まあfinalventさんは自分自身を存在が弱いって言ってるけど
すごい影響力ありますし、答えはYESですね。

 じゃあ生存力だけど、
Q2.生存力が無い人も存在が強いの?
飯島愛さんは存在が大きいです。失ってその大きさを再認識する思い。
だからこれもYESですね。

 存在が強い人は自意識の自省性が少ないということですが
Q3.存在が弱い人は自意識の自省性、つまり反省が多いのでしょうか?
これも先生の存在が弱いのであれば、YESになるしかない。
自意識を抑える謙虚さとでも言うのか、こちらが逆に愚かに思えるほどの
自傷にも似た自省性を先生は持ち合わせていると思います。
相当自分を小さく見せようと努力している。
自虐やユーモアで煙に巻きながらそれを行っている。
もし本当に小さい人間であれば自分を大きく見せようとするものですからね。

 そう、ここが僕は混乱する部分なんだよ。
終風先生は確実に大きな人間である。
僕よりも人生を多く歩んでいるからというのもひとつだろう。
しかし、それだけじゃない、桃の木のように人を集める魅力を持ち合わせている。
僕は派遣のバイトをしたことがあるし、そこで真に小さな人間を見た。
人の悪口ばかり言って、できるだけ働かないように知恵を働かす。
終風先生はそんな小さな人間なんかではありえない。
そんな小さな人間はここまで知性(知ろうとする力)を高められない。
まあこれは良い例じゃない。というか間違ってるな。
先生の普段からの自虐はこういった表面的なことを言ってない。
じゃあ何で自虐するのか。僕はそれは孤独を感じているからだと思う。
そしてその孤独は性的欲求から来るものだと推測する。
結局はパートナーのいないことが自意識の自省性を大きくする。

 だがこの論理展開の矛盾は身近なところに潜む。
自分自身である。

 僕自身は彼女の影すら見えない親不孝なダメ人間であるが、自意識の自省性が少ないと思う。
存在が大きいかもしれないと思うことは、正直ある。
影響力は狭く強いかもしれない(ま、影響力は関係ないが)。
これは自分に自信があるからというより、謙虚さが足りないからだと思う。

 あれ?そうすると存在が大きい人は謙虚じゃない?
これは違う。違うと思う。わからない。

 ほら、だんだんと意味不明になってきた。
考えれば考えるほど泥沼にハマっていく感じ。
全然わからないんだよね。何が『存在』なのか。
そして僕自身の存在も。


 『存在』って主観的な気がするんだよ。
飯島愛を知らない人にとって飯島愛は『存在しない』わけですよね。
梯子たんのブログは知ってたけど毎日見なかったし、
僕にとっては梯子たんよりも終風先生のほうが『存在が強い』んですよ。

 脇役、主役という話になると今度はもっと難しくなります。
確かに、僕の感じるところを正直に言うと、終風先生は脇役な気がするんですよね。
ヨーダというか。酔拳の師匠というか。とにかく主役じゃない。
そして梯子たんを映画に出すとしたら絶対に主役にすると思う。
梯子たんという存在の色が主役の色なのだ。
これは強さとかとは別だと僕は思う。


 ああ、まあとにかくよくわからんってことで
中途半端な気もするが終わらせていただきます。


存在って何?


追記
 なぜ僕が僕自身を存在が大きいと感じるか。
それは短い人生経験ながら、地味に生きたときも目立とうとしたときも
常になんらかの目を気にしながら生きてきたから。
軽蔑の視線も多く感じたし、尊敬の念をこめた感情もぶつけられた。
主役感は常に感じていて、これは単なる人生の主役感じゃなく
世界は俺を中心にしているという、とても言い辛いが、
そういった感覚があって、自分は世界に対して脇役だなんて、
正直今までの人生で思ったことが無かった。
他人に対し全然影響力が与えられないというもどかしさはある。
だが、そのもどかしさと、自己の過小評価とは別に
主役感はなぜか持ち合わせているし、他人に直接出会って
他人を大きな存在だと思うこともほとんど無い。
傲慢なのかな?母は偉大だが、主役じゃないし、
話したことのある社長を家族の皆は「オーラ」があると表現していたが
僕はさほどその「オーラ」を感じなかった。
威圧というか、恐縮というか。
いや、あるか。
恐縮しすぎて腰を低くしすぎて周りが見えず失敗ばかり繰り返した時代もあった。
だが、このときも軽蔑の視線を感じたし、苦しい思いをしたけど
だからといって僕が主役の座から降りたかというと甚だ疑わしい。
あくまで感覚的な問題で、他人から見たら僕ほど無意味で小さな存在は無いかもしれん。
しかしそういった他人の目線すら、僕を悲劇の主人公に仕立て上げる道具に思える。
この自意識過剰さ。この謙虚さの無さ。
なんでそう感じるんだと言われても、そう感じるんだから仕方ない。