崇拝なんてどうせ一時的崇拝にとどまる

 偉いっぽい人がいて、なんだか偉いことを言っているからみんなが「この人偉いよー!」って叫んで、「おお、確かに偉いやっ」てゾロゾロと人が集まり、偉い人が今度は何を言うのかワクワク待つ光景って昔からあったような気がします。江戸時代とかそれより前からあったんじゃないかしらん。生きてなかったけどその時代。
 そうなると一個人を崇拝してる集団は何も考えないバカ集団になっちまう、みたいに考える人もいるけど、意外にそうでも無い気がします。
 特にネットでそういったことが起きた場合、例を挙げると偉い人=アルファブロガー、集団=アルファブロガーを先生と呼ぶキモイ奴ら、とも考えられると思うんだけど、この集団って偉い人が「あれ?」って思うようなことを言ったらすぐに潮が引くようにサァーーって海に帰っていくような気がします。匿名だしさ、顔見えないしさ、小さい頃から知ってる幼馴染でもないしさ、一緒にお雑煮食った仲でもないわけだから別に洋ナシなら聞かない。
 つまり偉い人が偉くなりすぎることは無く、偉い人は常に厳しく見られる立場にいてストレスばっか溜まるような気がします。そしてネットにおける集団は本当の意味でのファンになることは無く、調子が悪かったりするときでも味方になるようなことは無い。たった一度だけ書いた面白くない日記でアクセス数がずっと下がり続けるサイトを幾度見てきたことか。
 ブログが孤独だっつうのはそういうことなんじゃないかしら。ブログって味方も敵もいないんだよね。もし味方が欲しいと思うならば現実社会に出たほうがいいし、敵ばっか作りたければ2chでコテハンになるか週刊誌で辛口コラム書いたほうがいいし、ブログってそういう意味で味方も敵もいないんだよね。(ブログの孤独について書くつもりは無かったけどふいに思いついた)。
 まあそんなわけで先生と呼ばれ続ける秘訣は崇拝されないようにして、崇拝されそうになったら崇拝すんな!って叫ぶことだと思います。崇拝されたらいけません。崇拝されたらきっと阿笠博士の罠です。気をつけて!