立ち止まって見回したとき

4月だ。3月が終わった。内定は当然のように無い。苦しさが日に日に増してくる。そんなときにふと立ち止まって考えた。僕は何ができるだろうではなくて、僕の回りの人たちは何をやっているんだろう、ということを考えてみた。
僕は貧乏なりに幸せな生活をしていると思う。この生活費を稼いできているのは父である。父は小売だと以前言った。もっと詳しく言うとどっかのメガネ屋で店長をしている。僕のことを金持ちだと勘違いされている人ももしかしたらいるかもしれないが、とんでも無い。兄は博士課程に進み、姉は一般職、うちの家計は火の車です。
母は時々「せめて親は超えないかんで」と言う。僕自身もそう思っているし、そういう思いが強すぎるせいか大企業ばかりを受けてしまう。だが、親を超えるというのは、大きく超える必要性は無いかもしれないと最近思ってきた。ほんの少しだけ、ほんの少し親よりもお金が貰えるような職にありつければいいのではないかと考えるようになった。
メガネはメガネでも小売では無くレンズのほうは、給料も小売よか良いだろうし、将来性もまだあるほうだと思う。IOLを知っているだろうか。眼内レンズと呼ばれ白内障の治療に使われているものだが、このレンズを入れれば目が良くなる、寝るときも外さなくて良い、ずっと入れっぱなしにしていても良い。問題は明るく見えすぎる、保険が利かないなど多く挙げられるが、今後もっと良いものができれば広く普及するかもしれない。僕は将来性があるのではないかと思っている。中国など近代化が進んでいるところはもっと目が悪くなる人が出てくるだろうし、眼鏡産業の需要が無いものではない。現在の技術では目が悪くならない薬なんて無いから内需も0になることはとりあえず無い。レーザー治療も先日医者のミスが報じられたし(これはすごく初歩的なミスだったらしいが)目が悪い人全てがレーザー治療をすることも、まあ無いだろう。
父親の仕事に近いものという後ろめたさからいろいろと言い訳を書いてしまったが、ここで言いたいのは子供というのは父親の仕事の影響で「え?それ普通に知ってるでしょ」と思う点がそれぞれ若干違うのだ。酒屋の息子はもやしもんに描いてあった菌のことなんて知っているだろうし、自営業の息子は店の立ち上げ方がわかるかもしれない。不況の今だからこそ、親や親戚のやってる仕事とその人生を見て、就職を考えても良いのではないかとちょっと思った。何より志望動機が書きやすい。
少し前の日本や、田舎なんかでは当たり前のことだけど、現代社会の都会の若者はあまりこういった考えを持っていないのではないかと思う。それとも父親の仕事だからという理由から敬遠していたのは僕だけだったろうか。まあもちろんそこを受けたからと言って入れる保証は無いんですけどね。
あと、「親を超えなければいけない」なんて書いたけど、それはうちの家がさほど社会的に高い地位にあるわけではないからで、親が超大企業にいたり、エリート役人です、みたいな人は多少妥協しなくてはならないこともあるかとは思う。それは仕方が無いだろう。あ、でも祖父は農林水産省にいたな。最終学歴小学校だけど東大出がペコペコしてたって言ってたし。