お隣さんだ!隠れろ!

両親は多少あるようですが、僕自身は近所付き合いをまったくしていませんので、お隣さんを最寄り駅などで見かけると挨拶が恐ろしいものだから隠れるようにソソクサと行動してしまいます。まあ、中学の終わりに今の場所に来て、高校は片道2時間通学して、今は1時間半通学してきたものだから近隣の人と関わる必要性が無かったし、今も無いんですよね。
こういう近所付き合いの希薄さと気楽さと自由さってやつは僕の住んでるところの特徴なのかもしれない、というのも地元の新聞のコラムにそんな風なことが書いてあったからなんですけど。
や、そんなことを言ってはいかんな。ちゃんと近所付き合いをしている人たちもよく見ますからね。井戸端じゃないけど、地域の集会場に三十路過ぎの子連れたちがチャッティングをしている風景も見ますし、トラクターに乗って挨拶してる爺さんも朝見ますし、石焼芋や夕方のパン売りもいますからね。


うちのゼミの先生曰く、世の中には三つの縁(えん)があるのだという。ひとつ目は職縁、仕事や学校で知り合う人たちとの縁。ふたつ目は血縁、家族や親戚との縁。みっつ目は地縁、自分の住んでる地域の人たちとの縁。
このみっつ目の縁が希薄になりすぎていて、こりゃ困ったもんだと言っている人がボチボチいて、確かに僕もみっつがバランスよくないといけないだろうとは思うのですが、地縁が強くなりすぎて居づらくなったのが昔の田舎なんだろうと思うんですよ。
ゆく水が如く時代は変化していって、歴史は天秤のように行ったり来たりを繰り返す。別にそれでいいし、その中でまた風にあおられる砂漠の砂みたいに人間は動くものだし、それが自然なんだと思います。今は地縁が薄くなってっから濃くなろうとしているんだろう。
いつかまた地縁が薄かった今のほうがよかったと思える日が来て、そのときまた時代はこっち側に動いたりするんだろうね。