若者の没落

経済誌なんかで年寄りが政治を裏で操る仕組みと幕末や明治維新の若者の力を比較した文章があったように思うが、なぜ日本の若者はこれほどまでに力を失っていってしまったのだろう。
私はズバリその明治維新において活躍した若者が保守に回って自分たちの権益を守るために奔走したからではないかと思っている。そもそも彼らは田舎者だし、脱藩したお騒がせものだ。自分たちが偉い地位に立てたことが嬉しくってそれを守るために身の回りを固めていったシステムがいまだに残っているのではないか。それを隠すかのように近衛文麿という若く、高貴な家柄の人間を総理にしてみたりもしている。しかし結局操り人形だった。
若者が戦後もっとも声を荒げたのは学生紛争か。ここでも若者は失敗をした。暴力に訴えかけて火炎瓶を投げたりして一時の一体感と達成感を得てご満悦だったようだ。彼らの時代から大学が資本の一部になっていったので、大学への期待と現実に失望してしまったのだろう。「勉強をしなければ」という古き良き大学への憧れの気持ちと「セックスしたい」という今の若者と変わらぬ願望が入り混じって変な方向に向かってしまった。
それを見た下の世代は愚かだと感じた。ヘルメットかぶるのは自転車だけにしてくれよハッハーという気持ちだった。世間に対して自らが飛び込んでいこうというそれほど熱い気持ちは、一部の人を除いて世間的に無くなった。その代わり司馬遼太郎を読んで、幕末の志士に自分を置き換えて英雄気取りでいた。それで満足だった。
もっと下の僕のような人間は基本的にクズである。勉強のカリキュラムを絞られ、ゲーム全盛時代において本すら読まなくなっていった。いじめは陰湿なものになり、ネット社会で右寄りの偏った思想を植えつけられた。男はだらしなく日和見的で、女は勝間和代化していった。これでは世の中を変えることなぞ到底できんし、今を必死で生きて死んでをするしか無い。
若者はもうダメである。これをなんとかするには残念ながら英雄的な人間の登場が不可欠になるのだろうと、歴史を見ると感じる。ただ英雄的な人が活躍できる場が与えられていないことも事実だ。だから結局何も変わらず日本はだらだらと失われていくんだろうと思う。
もちろん、だらだらした時代においては文化の発達はいつだってあるものだから、文化への期待を抱いてさえいれば生きていけると私は思う。