勤勉論

日本人はなぜ勤勉なのか。またはそうだったのかについて山本七平の日本型リーダーの条件を一部引用する。ちゃんと全部読まないと理解はできないと思うのであれ?と思うのであれば読んでみて欲しい。この人の本はなんでもいいので学生のうちに1冊読んでいると良い。

▼鈴木正三(しょうさん)の勤勉論
彼は、宇宙の基本は一仏だと言う。一仏には徳用が三つある。一つが月、もう一つが仏性・仏心、さらにもう一つが医、「いやし」である。月の光が一しずくの水にも影を宿すように各人の心の中にみんな仏性があるとする。そのように天然自然の秩序は人間の内心の秩序だから、その秩序の通りにしていればよろしい。天理の通りにしていればいいのだが、人間には知覚があって、他と接触するため利害関係を生ずる。知覚がある故に情が起こり、それによって仏性が侵される。貪欲、怒り、愚痴を三毒とする。この三毒が仏性を侵すから人間は成仏できない、そこで修行しなくてはならないとした。

▼農業即仏行なり
だからといって全員座禅を組んでるわけにはいかない。働かなければならないと反論があった。これに対し正三は「農業即仏行なり」だから農民というのはひたすら耕しているとそれが禅の修業になると言った。日々の仕事においてこれを修行として、成仏すればいいのであって座禅する必要はない。問題はどんな「わざ」―坐禅か農業か―ではない、問題は「心にあってわざになし」と彼は主張する。つまり彼は寺にさえ行く必要はないと言っていて、これはキリスト教の世界では類を見ない。
では日本人は成仏したがって働いているのか、といわれれば、そういう自覚はないであろう。しかし、働くと安心感と充足感があるのなら、これは内心の安堵の獲得のために働いていると同じことになる。宗教現象学からいうと、働くことは「生命の充足」を求める行為になる。

石田梅岩の勤勉論

とかmixi日記にここまで書いてたんだけど、これをmixiのやつらが読むかといえば、そんなことも無い気がしたのでここに一応載せるだけ載せる。石田梅岩の勤勉論はひとことでいうと「一にも夢中にならず、一にも捨てず」ということです。それがどう勤勉かって?んなこと知るか。